『僕のヒーローアカデミア』を見ていて思うこと。

 こんにちはパシフィックです。

 現在退職するまでの時間を何のミスもしないように細心の注意を払って生活している自分ですが、自分がこのブログを立ち上げた元々の理由はアニメ等のサブカル作品から考えたことを徒然なるままに書こうと思ったことでした。決して転職の話をするために立ち上げたものではありません。なので今回は本来のブログの趣旨に沿って、ジャンプ作品で現在アニメも放送されている『僕のヒーローアカデミア』において最も重要な「個性」というものを現代の社会と照らし合わせて考えていきたいと思います。

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僕のヒーローアカデミア」のキービジュアル(C)堀越耕平集英社僕のヒーローアカデミア製作委員会・MBS

 この作品は人口の約8割が“個性”という特殊な能力を持つ社会において、“個性”を持たずに生まれてきてしまったが、それでもなお個性を悪用する犯罪者「敵(ヴィラン)」と戦う「ヒーロー」に憧れた緑谷出久が、No1ヒーローのオールマイトと出会うことで最高のヒーローになるために努力していくという物語。

 この作品において自分が最も興味深いと感じたのは個性というものの扱い方です。本作では人口の8割が何らかの能力を持った超人です。そしてそれだけ能力が溢れていれば能力に優劣が付けられるのは当然のことです。作中の一番初めの段階で爆轟が没個性だの無個性だのと言っていましたが、自分は良い個性>没個性>無個性という順番で優劣が付けられているように感じました。緑谷が通う中学校の先生ですら「みんな良い個性だ」と教壇から生徒を見渡して言うシーンがあるのでやはりこの超人社会においてどういう個性を持っているのかは非常に重要なことなのでしょう。

 また、先生が生徒の進路希望調査を実施しようとする時、調査シートをばら撒いて「みんなヒーロー科志望だよね」と言っているので、ヒーローという職種の注目度が高いことを考えると、良い個性の中でもいかにヒーロー向きの個性を持っているかが一種の社会的なステータスになっているようにも感じます。

 しかしながら、先生が教壇から生徒を見渡すシーンでは没個性と思わしき生徒達が個人的にですが多く見られたように思います。例えば、目が飛び出ているだけの生徒や指が伸びるだけの生徒、顔が膨らんでいる生徒や顔が光っている生徒、あとは首が伸びる生徒等見ただけでも敵と戦うような戦闘向きの個性ではない生徒が多いように思います。諸事情で画像は出せませんがこれから考えると超人社会においても必ずヒーローになれるだけの個性が発現するとは限らない。むしろ没個性の人の方が圧倒的に多いということがこの一場面だけでも伝わってくるように思います。

 ではここで描かれている個性を現代の社会に例えてみるとどうなるんでしょうか。現代においても優秀な人はたくさんいるでしょう。それこそ、お金が重要なこの世界において成功した人は何百人といます。アップル社の創業者のスティーブ・ジョブズマイクロソフト社のビル・ゲイツ等々。ですが社会はこういったいわゆる良い個性を持った人たちだけで回っているわけではないでしょう。没個性のようなちょっとした一芸や特技を持った人が大多数です。そう考えると、社会において特別に成功できる人間はわずかであることが分かります。また、何もやってこず、何も持たない、いわゆる社会に適応できていない無個性のような人間が相手にされないのは当たり前なのかもしれません。

 ただ、この作品で面白いのは個性を使いこなすために努力が必要である部分が描かれていることです。例えば、雄英高校に推薦で入ってきた轟焦凍の過去はNo2ヒーローのエンデヴァ―からきつい特訓の日々を強いられてきた辛いものであったことが劇中で明かされます。つまり、強力な個性は素養も大事だがそれを扱うためにはその個性の特性を理解した上で、発現させることが重要ということです。

 この部分は現代の社会でも同じではないでしょうか。自分の得意分野を理解し、自分が今どのレベルなのかを他者から理解し、自分を更に磨き上げていく。そうやって能力が足りていない部分を補っていくことで他者から認められたり、あるいは信頼されたりする。頑張ることを強制される社会であると同時にそれはこの社会で生き延びていくためには必要なことであるとも言えます。

 何ももっていない自分でも探して、探して、探して、少しは磨きをかければ社会は認めてくれるのではないでしょうか。そうでなければ無個性の自分はこれからのたれ死ぬことになってしまいますからね。