ブログのタイトルを変えたので就職について自分の考えを改めて残しておく。

みなさん、こんにちはパシフィックです。

ブログは今までも更新したいなと思いつつ忙しさで更新できずにいた。たぶんブログというのは日々の日常を書いているものであって、日常を書かない自分にとっては「備忘録」がふさわしいのじゃないのかと突如思いついて変更に至った。やはり個人的にはこちらの方がしっくりくる気がする。

これからは備忘録としてやっていき、どこかの誰かの何かしらの役に立てればと思う。

言わなきゃいけないことは済んだためここで終わっても良いが昨年から考えて確かこの辺りから本気で転職を考えていたと思うため改めて自分の考えを書いておこうと思う。

 社会人に少し慣れ、会社に嫌気がさしてくる魔の3ヶ月目が今月でやってきてしまった。恐らく多くの若者がまた会社を早期離職するのだろう。

自分自身がそうであったためそれが良いとか悪いとかそういうことを言うつもりは毛頭ない。他人の思考を変えるのは難しいし、旗から見て、自分から見て対象の人物が幸せそうでも本人は地獄にいるかの如くつらい日々を送っているということは多々あることだからである。

ただ、自分から言わせてもらえれば次に着く仕事は本当にあなたが追い求めている仕事かということだ。自分自身、自分の好きな仕事は二つの会社を渡って初めて気付くことができた。

自分は今仕事で文化財関係の仕事をしている。100年以上前の人が書いた手紙を見てどういう内容が書かれているのか考えたり、外に出て行ってお寺の本堂を修理するためにお寺の寸法を取ったり等色々であるが楽しくやらせてもらっていることは断言できる。元々研究系の仕事か進学かで考えていたが文系ではそういう仕事が無かく、金も無かったためなんとなく民間で大量に面接を受け、大量に落とされ、2社を経て今の仕事に就いている。

自分が2社を経ているのはそれだけ遠回りしないと社会人としての自分がやりたい仕事に気付けなかったためだ。恐らく、自分自身は自分の将来に対してあまり考えるのが得意では無いんだと思う。どこか他人事で自分が直面している出来事では無いように感じる。だからこそ自分の将来に対して真面目に向き合えていない部分があるんだと思うがそれはそれで仕方が無いと開き直って乗り切っている。商社に入る前に今の仕事を考えていないわけでは無かったが自分にはどうせ公務員は無理だろうという諦め癖と肩書を重視した就職思考でいたためにこうなってしまったことは言うまもでない。

今の日本で男一人であれば仕事が無くても死ぬことはまず無いだろうと思う。限界だと言われている社会保障も何だかんだで弱者にはある程度行き届いているっぽいし、色々と手を差し伸べてくれる人が多い日本で孤独死や自殺はあっても餓死はよほどのことがない限り無いかと思う。

そんな中で自分のやりたいことを探すのは非常に重要なことだ。今でこそこの仕事について笑顔が増え、仕事の関係でやりたいたいことが増えたが自分が商社にいた頃は笑顔は無く、先輩方との交流もなく何となく仕事をして失敗し、生きづらさや居づらさを感じていた。

現在でもそういう人は多いのでは無いだろうか。

だからと言って辞めて良いということにはならないだろうが本当に辛ければそういう結果になっても良いのでは無いだろうかと個人的には思っている。日本の場合、社会参画の仕方が社会人の場合は仕事関係がほとんどのため仕事の環境は人にとって重要な要素であると思う。だからこそ何の面白味もない場所で働き続けるのは悲しい事だとさえ思える。自分自身、今の労働量は商社にいた頃とあまり変わりが無く、公務員でも土日に出ることもあれば夜の10時くらいまで残業するというのが連続で続くこともある。それでも、仕事内容に面白味があり、興味が湧くからやりたいと思えているし成長したいとも思えている。パチ屋や商社勤務の頃とは大きな違いだ。

だから今一度自分のやりたかったこと、なりたかったもの、興味関心があったものを思い出して欲しいのである。遠回りをせずに自分のやりたい事ができるように考えて欲しい。なろうと思ったが途中で諦めて方向転換し、現在が物凄く辛い人はもう一度やってみても良いのでは無いだろうか。

「社会人は基本的に自由であり、法に触れないことなら自分の思ったことをやって良い。世間の体裁を気にせずやりたいことをやれ。」自分が商社で勤務していた時に上司から言われた言葉だがこういうものだと思う。脱サラしてカフェを開いても良いし、独立して会社を立ち上げても良い。要はそれをしようとする原動力があるか無いかの話だと思う。今が最低であればこれ以上落ちることは無く、恐れるものは無いのではないか。であれば挑戦してみてもバチは当たらないだろう。

日本であれば何とかなるのではないだろうかという相変わらずの楽観主義的な発想で怒られてしまいそうだが今が辛いなら仕方がないだろう。そういうものだと自分は思っている。