プロファッショナルの意義について自分の考えていることを書き連ねてみる

皆さんこんにちは。

パシフィックです。

最近毎週のペースで台風が来て憂鬱なことばっかりで嫌になりますが皆さんはどうでしょうか。

環境関連でも色々思うことはありますが自分の今の注目していることはAIやロボットなのでそういったことを書いていこうと思います。

ロボットやAIと聞くとやはり真っ先に思うことはシンギュラリティ(技術的特異点)ではないでしょうか。

まあ、シンギュラリティの話をすると自分の趣旨とは外れるし、他の優秀な技術系のブロガーさんが色々と話しをしてくれているのでそちらに任せておきたいと思います。

今回自分が話したいことは今後AIやロボットが出て来る中でプロフェッショナルとはどういう意味を持つのかということです。

なんとなく皆さんの中ではAIなら何でもやってくれそうなイメージがあって、人間の軽作業や機械的にできる事務処理はすぐにやってくれるという印象を持っているのでは無いでしょうか。

まあ、実際にそうですし、だからこそ経理関係の仕事や販売員といった機械的なルーティンでできる仕事は機械の方が早いし、正確のため取って代わられるということが言われているんだと思います。

だからと言って完璧に機械に任せることも不可能ということも理解しておきたいところです。

例えば、新人が書類を作ったとしてそれに間違いがないか先輩や上司のチェックが入るのは当たり前だと思います。イメージとしてはこの新人の代わりをAIやロボットがするというイメージになると思います。

どれだけ間違っていないと解っていても後の処理作業で応用や転用という作業が必要な以上、その書類を人間がチェックするという行為は必要不可欠だと思います。

これを専門性という部分で見てみたいと思います。例えば上に挙げた経理関係の仕事を例に取りたいと思います。経理といえば会社の財務関係を引き受ける重要な部署であり、そこでの仕事に間違いがあってはいけないのは言わずもがな。だからこそ正確性が高く、効率の良いロボットに取って代わられるのはあり得ると思います。ただし、AIやロボットは入力された指示に関しは着実に遂行し、無理な時はエラーコードを出してきます。そして、出された結果を解釈するのは人間であり、その結果を求めている方も人間です。AIが出してきた結果を扱うとき、全く経理をやってきたことがない人間がその結果を扱うことはまず不可能です。それだけ高度な内容であればこそ経験者でしかその内容は扱うことができません。現在でも機械が出してきた結果に対してどういう理屈でそれを出して来たか、その結果はどう解釈すべきかを見える化するという取り組みは行われていますが、機械が出してきた内容にブラックボックスが存在しているというのが実情です。だからこそ、高度に専門的な分野においてこそ今後もそういった人材は必要だし、そういった面での需要は無くならずむしろ高まっていくと思います。

恐らくですが今後はそういった機械の出してきた結果を読み取る作業は外注が増えていくんじゃないかと思います。

会社としては人権費は抑えたいから高度な分野でAIやロボットを使いたい。なぜならば、そういった高度な人材は通常の社員よりも専門性を持っている分給料等の人件費が高いからです。だが、その結果を解釈するには高度な専門性の知識を持った人物が必要。だとするとそういった読み取り作業を報告書にまとめて出してきてくれる専門集団に外注した方がより安く、安定した結果が得られる。今でも実際に、営業部門は外注で回しているという所がありますし、少なからず機械的にできる部分に関してはこういう会社は出てくると思います。あるいは自社で全て抱え込んでしまって、空いている分別の部署の仕事を体制を整えて割り振っていくかのどちらかだと思います。

どちらにせよ、これはあくまで自分の考えていることで実際にどうなるかはわかりません。ただ、機械やAIではイレギュラーな緊急事態が起こった時対処ができません。それも含めてAIに学習させ、インプットさせれば良いと言うかもしれませんが緊急事態は予想がしずらいからこそ人間で対処が難しいのであって、人間が経験していないことを機械に学習させるのは非常に難しいことです。それに、AIに学習させるのは非常に労力と手間と金がかかります。それを率先して行う企業は日本では相当少ないと思います。だからこそ、最後はやはり人なんだと個人的には思っています。

現在の通常の業務はロボットに任せ、その結果を確認して様々な部分で当てはめて応用し、緊急事態に対処する。そういうのが今後の人の働き方だと個人的には思います。

ある意味では現在の我々が生きている日本社会は高度に機械化、細分化され、非常に機械的に回るようになっている社会なんだと思います。合理的な社会だからこそ、機械で回せる部分が多いのであり、非常にシンプルな構造になっている。ただ、イレギュラーに滅法弱い。そういう日本社会になっているのかもしれません。